笑子(えみこ)です。
家族、パートナーとの考えの違いや、価値観の違いを感じることはありませんか?
ひとりひとりの考え方があるからと割り切れることばかりではなく、時には激しく感情が動かされることもありますよね。
ぶつかり合うのもいいけれど、一時の感情がもとで望まない状況になる前にできることがあります。
日々トレーニングのごとく、自分の「思い込みに気づく」ことを意識しているわたしですが、ことあるごとに出てくる思い込みにハッとさせられます。
あるとき、旦那さんが事故を起こしたことをきっかけに、わたしの中にあった判断基準や思い込みなどの「自意識」に気づくことができました。
今回は、自分の中にある「自意識」に気づく流れと、自分の感情との向き合い方、そして最終的に目指す生き方について、体験をもとに書いていきますね。
ちょっとしたことでもすれ違う、夫婦の認識
結婚してひとつ屋根の下で暮らすようになると、付き合っていた頃にはわからなかった部分がお互いに見えてきますよね。
わたしは現在結婚7年目ですが
「思ってたのと違う」「思ってたより〇〇だった」というのは、これまで結構ありました。
とっても優しい旦那さんですが、感情を出さないので考えていることが分かりません。
実はわたしも同じなので、喧嘩になることがないんですよ汗
これはかなり根深い問題なので、すぐには解決できないのですが、まずは「気づく」ことがとても大切だということが身に染みる出来事が起きました。
いつものように帰宅したとき、珍しく旦那さんから電話がありました。
「ごめん、事故った。どうやら、止まっている車に自分から突っ込んだらしい」
ん?どうやら?よくわからない違和感のある内容に戸惑いました。
よくよく聞いてみると、本人は事故の直前直後の記憶がなく、気がついたら救急車の中にいて、今こうして電話をかけているんだと。
だから、すまないけど病院まで迎えに来てほしい、という連絡だったんですね。
幸い相手の方も本人も怪我はなく、運ばれた病院で検査をしてもらっても異常はありませんでした。
ただ、検査で異常が見つからなかったという可能性もあるので、48時間は特に注意してくださいと言われました。
事故のときの記憶がなくなることがあるとは聞きますが、やはり気になるし、わたしとしては安静にしていた方がいいだろうと思っていたのですが、旦那さんは全然大丈夫だから翌日も普通に仕事に行くと言ったんですね。
その時点で、ふたりの認識は違っていました。
「事故のあとだから、念のため安静に」というわたしに対して、「事故したけど、とりあえず大丈夫そう」という旦那さん。
これまでも、たくさん違うところはあったので、無理に自分の意見を通そうとはしませんでしたが、気にはなりましたね。
そして気になったことがもうひとつ。
旦那さんが会社に事情説明をしているときに「寝てたんだと思います」と言ったこと。
記憶にはないんだけど、たぶん寝てたんだと思うって発言するということは、居眠り運転の可能性もゼロではない。
わたしの中で、ふつふつとイヤ~な黒い感情がわいてきました。
夫婦の認識の違い、ぶちギレ寸前のわたし
うちの旦那さんは、リビングで寝るクセがあります。
スマホ動画を見ながら、ついうとうとしてしまって、そのまま朝が来るという感じ。
電気もつけっぱなしなので熟睡できないと思うし、だらしないなぁと思って最初のころは口うるさく寝室で寝てって言ってました。
けれど、そのクセは治らなかったので、そのうちに放置するようになったんです。
もともとよく寝る人で、休みの日はずーっと寝て過ごす日もあるので、そんな眠気の原因は普段の睡眠の質が悪いからだと思っていました。
それがあって、事故が起きたときにわたしは、普段の睡眠の質の悪さ=居眠り=事故、とつなげて解釈しました。
ですが、ここでもお互いの認識は違っていたんです。
旦那さんの中では、事故と睡眠の関係性はなし。
たまたま事故をして、運よく大事にはならずに済んだ。
なのでその後も、リビングでうとうとする習慣は変わっていません。
そんな旦那さんに対してわたしは、「反省していない」「その神経が理解できない」「なぜ改善しようとしないのか」「結果的に人様に迷惑をかけたんだぞ」などと、いろいろな感情がわいてきました。
なんていうか、これまで表に出ていなかった感情が、一気に押し寄せるような感覚がありました。
「絶対、離婚する」「いますぐ離婚したい」喉元まで出かかった言葉たち
とにかくイヤになって、すべてをリセットしたい衝動にかられて、ぶちギレる寸前でした。
だけど、旦那さんにぶちギレることはなかった
ギャーギャーまくしたてて感情をぶつけると、一旦はスッキリするかもしれませんが、お互い気持ちよくはないし「罪悪感」が伴うのが分かっているので、それはしませんでした。
ぶちギレ寸前までの感情になった、ここまで感情が出せていることは、わたしにとってチャンスでした。
なにがチャンスだったかというと、「自分の感情がどこから来ているものなのかを知ることができる」からです。
わたしの「怒り」の感情は、旦那さんの何に対して怒りを感じているのか?
そこのところを整理してみると、自分の認識がみえてくるということです。
①旦那さんのどんな言動に対して
②わたしのどんな考え、感情、行動がでているのか
そもそも、わたしの事故に対する認識は「普段の睡眠の質の悪さ=居眠り=事故」でした。
旦那さんの①反省の見えない軽率な行動に対して、②ちゃんと考えて改善する努力をしろよ←怒りという、考え感情が出てきました。
ですが、ここで重要なことがひとつ
それは、なにが「事実」なのかを見極めることです。
今回のことでいうと「バイクで事故を起こした」ことは事実ですが、事故の記憶がないことについて、寝てたかもと本人が言っているのは本人の「思い込み」です。
それを受けたわたしが、普段のだらしない生活(これも思い込み)が元で、きっと居眠り運転したのだろうと思っているのも「思い込み」
つまり、事故に直接関係があるかどうかわからないことを、原因のように思い込んでいたことになります。
と、淡々と書いてますが、「そうは言っても、普段の生活が原因の可能性はあるよね」と思っている自分も未だ、います汗
人は育った環境や、過去の経験を元に思考して判断するので、わたしはそのように思ってしまうワケです。
同時に、旦那さんの思考が自分と違うのは当たり前なんですよね。
普段から違うことだらけな夫婦の日常
付き合っていたころは、似た者同士だという感覚があったわたしたちですが、一緒に生活するようになってからは「違い」が目立つようになりました。
身だしなみを整えるのは大切だと思うわたしと、全く無頓着な旦那さん
よく考えて行動しようとするわたしと、なるようになる派の旦那さん
白黒ハッキリさせたいわたしと、どっちでもいい旦那さん
アタマがカタいわたしと、わたしよりはユルい旦那さん
旦那さんと生活することは、ガチガチにカタいわたしがゆるむきっかけになるかもしれない、そう思っていました。
その反面、旦那さんとわたしの「違いを認めようとすること」自体が、ストレスになっていたことに気づいたんです。
家族でなければ関わることをやめてしまえるけど、「離婚しない限り無理だ」というのもストレスなんだと思いました。
少し前までは、ここまでのモヤモヤやイライラの感情はなかったのですが(あってもすぐにおさまっていた)、事故の件ではガーッとマックスに達して、ゴーゴーと燃える火が中々おさまらなかったんですよね。
普段から感情を出さず、いい子ぶっているわたしにとって、自分の感情と向き合うタイミングだったのでしょう。
その感情が出てきた背景を少し意識してみると、冷静になれるとともに新たな気づきもありました。
旦那さんに多くを要求(期待)していた
「期待は裏切られるもの」だから、期待せずに信じよう
と、周りに言っていたわたしですが、実は旦那さんにたくさん期待していたことに気づきました、、、汗
「ダラダラをやめてちゃんとしてほしい」
「身だしなみに気を遣ってほしい」
「よく考えて行動してほしい」
「はっきり意思表示をしてほしい」
このような期待をして、わたしの基準で思い通りにコントロールしようとしていたのです。
いやー、こわい苦笑
自分が期待していることに気づかない(認めない)まま、その期待を裏切られるたびに絶望を繰り返していました。
それが積もりに積もって、事故を引き金に、怒りや苛立ちの形で表れてきたのですね。
そしてこの期待は、「旦那さんは〇〇な人だ」と決めつけていることになります。
「旦那さんはダラダラする人だ」
「旦那さんは身だしなみに気を遣わない人だ」
「旦那さんはあまり考えずに行動する人だ」
「旦那さんは意思表示をしない人だ」
勝手にこれらのレッテルを貼っているのですから、失礼にも程があります。
しかし、相手に対して、このようなレッテルを貼ってしまっていたと気づければ、そのレッテルは剥がすことができます。
逆に、気づかない限り、剥がすことはできません。
ということはつまり、「気づく」というのは「やめる、手放す」という選択肢を生むことができるということです。
自意識に気づくことを意識して身軽になろう
人に期待をしている場合、その期待が大きいほど相手のことを責めてしまったり、そんな自分を責めてしまうことになります。
相手を傷つけるし、ストレスがたまるし、なんにもいいことないですよね。
日頃から自意識に気づこうと意識をしていれば、何か問題が起きたときに、一時的には感情的になったとしても冷静に向き合うことができます。
そして、ひとつずつ自意識が明らかになることで、それらを手放すことができるようになるのです。
そうなると、どんどん身軽になっていくのが想像できますよね。
ドラゴンボールで悟空が強くなるために、めちゃくちゃ重いおもりを身に着けてトレーニングをしていましたが、すべてを外したときには自分でも想像がつかないくらい俊敏に動けるようになっていました(書きながら思い出して、超懐かしいです!)。
わたしたちは、生きてきた中で自然と重りをつけてしまっているのです。
そろそろ外して、身軽に自由になりましょう。
そのときには、想像もつかないような自分自身が存在しています^^
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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