思い通りの現実を創造(想像)するために最優先でやること

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笑子(えみこ)です。
 

2019年は【3:創造と破壊】の年

『創造』とは「生み出す」「創り出す」という意味ですが、このとき「心の中に想い描く」ほうの『想像』も合わせて意識します。
 
 
なぜなら

『想像』したことが『創造』されるから

心の中に想い描いていることが、現実として生み出されるということです。

分かりやすくするために、思い通りの現実を生み出すことを、理想の家を建てることに例えてみますね。
 
 


 
 

思い通りの現実を生み出す=理想の家を建てる

親から受け継いだ家に暮らしているとしましょう。
築年数も経っているし、そろそろリフォームして自分の理想の家にしたいなぁと考えます。

理想の家にするために想像してみましょうか。
間取りを考えたり、屋根の形や壁の色など、デザインにこだわるかもしれませんね。

このように想像して、理想の家を創ろうとします。

そして、いざ工事に取り掛かるときには、当たり前ですけど古い家を壊すことから始まりますね。
 
 
理想の家(思い通りの現実)を創るには、想像するとともに破壊することが求められます。
 
 
何もない更地に家を建てるのであれば、すぐに作業に取り掛かれますが、建て替えようと思ったときにはまず壊すことが必要ですものね。

そして壊す前には、家の中の不要なものを手放して必要なモノだけにしておけば、いざ新しい家に暮らそうと思ったときに、最小限のお気に入りのモノに囲まれた理想の暮らしが手に入ります。
 
  

創造(想像)する前に破壊するということ

ここで言う破壊とは、「手放す」「やめる」ことを意味します。

自分の中にある「固定観念」や「思い込み」などを手放す

古い家にある不要なモノを、壊したり手放したりするのと同じように、不要な「固定観念」や「思い込み」を手放すということです。
と、言うのは簡単ですが、これが中々手強いんですよね。

なぜ手強いかというと、わたしたちは自分の「固定観念」や「思い込み」に気づいていない場合があるからです。
 
家が古くなっていることは分かっていても、見えにくい部分にガタがきていたり、長年暮らして使っていると愛着があって捨てられないモノもあるでしょう。

しかし、それらは本当に必要なモノなのでしょうか。
 
本当に必要なのか、必要だと思い込んでいるだけなのか。

自分の理想の家に、その「固定観念」「思い込み」は必要なのか?
 
 
例えば、人間関係において、他人との考えに違いを感じた時に「自分の考えが正しい」と思ったとします。

それは事実でしょうか。本当にそうでしょうか。

「正しい」と思うのは、何を根拠にそう思うのでしょうか。

それは、自分の家が誰よりも素晴らしいと思い込んでいることと同じじゃないかなと思うんです。

「自己満足でもいいじゃ~ん」と思うかもしれませんが、周りと比較して優劣をつけたり、自分の正しさ基準を持ってしまうと「固定観念」に縛られてしまいます。

比べることをせずに、みんなそれぞれに素晴らしいということを認めると、自分も周りもラクになりますよね。
まずは、自分の中にある不要な「固定観念」や「思い込み」に気づいて、それを手放しましょう。
 
 

最悪の結果を想像したとき、創造されたもの

想像したことが創造される例で、身近なことでわかりやすい出来事がありました。
 
 
数年前、健康診断を受けたときのことです。

郵送された結果をみると、精密検査が必要な項目がありました。
11月に受けて連絡がきたのが12月でしたから、すぐに病院の予約がとれず、年を越して1月に再検査を受けることになったんです。

その年の年末年始は、それはもう憂鬱でしたね~。

「もしも、再検査して最悪の結果だったらどうしよう」
そんなこと考えないようにしようと思うのですが、つい頭をよぎるんですよね。

いつもなら楽しいはずの年末年始が、自分の周りだけどんよりとした空気に包まれたようで、「憂鬱すぎるー早く年明けてほしい、いや、早すぎるのも嫌だなぁ」などと、なぜか悪いほうへ悪いほうへ考えていました。
そんなときは体調もイマイチで、だるいし、気持ち悪いような気もするし、何もやる気がしないし、とにかく元気がなかったんです。
 
 
結局のところ、再検査では異常なし

その結果を受けたあとは、自分のあの暗さは何だったのかというくらい体調も普通になったのですが、そのとき思ったんですよね。

「病気だったらどうしよう」
そう気に病んでいたら、本当に病気になりそうなくらいヤバかったなと。

「わたしは元気だ!」と陽気に過ごしながらも、不摂生な毎日を送っていたら、それはそれでヤバいと思うのですが(汗)
自ら気持ちまで病むということは、する必要のないことだと思いました。

つまり、わたしは起きていないことに対して想像をふくらませていたんですね。
良い想像ならいいですけど、悪い想像をしまくっていた(汗)

その結果、体調や気持ちの悪さを生み出していたということです。
 
 

創造(想像)するときの自意識

もっとわかりにくい状況で生み出されているものはたくさんあります。
というか、現実に起こることのすべてを自分が生み出しているワケですが、中々そうは思えないですよね。

創造(想像)するときの自意識というのは、自覚しているようで、実は自覚できていない無自覚の部分が多く存在するんです。

例えば、何かやりたいのだけれど「やりたいことが分からない」とか、なぜだか「このままではダメな気がする」とか、自分の本心が見えなくなっている状態にあるときなど、これは周りの影響を受けて起こることなのですが、影響を受けている状態だとアタマで考えてしまうので、やりたいことがわからない感覚になってしまうのです。

無自覚の自意識(思い込みなど)に気づいていけば、いらない思考に気づいてそれを手放すこともできるし、自分の本心にも気づくことができるということですね。
  
   
ここでの「自意識」とは、自我(エゴ)や主観とも言える自分の考え感情の部分を言います。
先述した「固定観念」や「思い込み」もこれに含まれます。

「病気だったらどうしよう」のように、「こうなったらどうしよう」などと思い込みとして表れてくることもありますし、「理解されたい」「愛されたい」のように、「~されたい」という期待や要求のような表れ方もあります。
 
つまり、自分の中に「~だったらどうしよう」という思い込みや、「~されたい」という期待や要求の部分を見つけて、自分はこんな自意識をもっているのだと気づくことが大切なのです。
 
 

まとめ

想像したことが創造されるといっても「理想の状態が想像できない」という方もいらっしゃると思います。

「そんな簡単に思い通りになる訳がない」と思う方もいらっしゃるでしょう。
わたしもそのひとりでしたから、お気持ちわかります。

ですが、そう思い込んでいる限り「簡単に思い通りにならない」という現実が、思った通りに生み出されているのは紛れもない事実です。
 
何より、自分の「固定観念」「思い込み」「自意識」に気づいてください。

一緒に少しづつ身軽になって、理想の家を建てましょう^^
 
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
 

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