2019年 2月 の投稿一覧

認識の違いが生み出す夫婦の危機⁉︎【期待する自意識の罠】

笑子(えみこ)です。

家族、パートナーとの考えの違いや、価値観の違いを感じることはありませんか?
 
ひとりひとりの考え方があるからと割り切れることばかりではなく、時には激しく感情が動かされることもありますよね。

ぶつかり合うのもいいけれど、一時の感情がもとで望まない状況になる前にできることがあります。
 
 
日々トレーニングのごとく、自分の「思い込みに気づく」ことを意識しているわたしですが、ことあるごとに出てくる思い込みにハッとさせられます。

あるとき、旦那さんが事故を起こしたことをきっかけに、わたしの中にあった判断基準や思い込みなどの「自意識」に気づくことができました。

今回は、自分の中にある「自意識」に気づく流れと、自分の感情との向き合い方、そして最終的に目指す生き方について、体験をもとに書いていきますね。


 
 

ちょっとしたことでもすれ違う、夫婦の認識

結婚してひとつ屋根の下で暮らすようになると、付き合っていた頃にはわからなかった部分がお互いに見えてきますよね。

わたしは現在結婚7年目ですが
「思ってたのと違う」「思ってたより〇〇だった」というのは、これまで結構ありました。
 
 
とっても優しい旦那さんですが、感情を出さないので考えていることが分かりません。
実はわたしも同じなので、喧嘩になることがないんですよ汗

これはかなり根深い問題なので、すぐには解決できないのですが、まずは「気づく」ことがとても大切だということが身に染みる出来事が起きました。
 
 
いつものように帰宅したとき、珍しく旦那さんから電話がありました。

「ごめん、事故った。どうやら、止まっている車に自分から突っ込んだらしい」
ん?どうやら?よくわからない違和感のある内容に戸惑いました。

よくよく聞いてみると、本人は事故の直前直後の記憶がなく、気がついたら救急車の中にいて、今こうして電話をかけているんだと。
 
だから、すまないけど病院まで迎えに来てほしい、という連絡だったんですね。
 
 
幸い相手の方も本人も怪我はなく、運ばれた病院で検査をしてもらっても異常はありませんでした。
 
ただ、検査で異常が見つからなかったという可能性もあるので、48時間は特に注意してくださいと言われました。

事故のときの記憶がなくなることがあるとは聞きますが、やはり気になるし、わたしとしては安静にしていた方がいいだろうと思っていたのですが、旦那さんは全然大丈夫だから翌日も普通に仕事に行くと言ったんですね。

その時点で、ふたりの認識は違っていました。

「事故のあとだから、念のため安静に」というわたしに対して、「事故したけど、とりあえず大丈夫そう」という旦那さん。

これまでも、たくさん違うところはあったので、無理に自分の意見を通そうとはしませんでしたが、気にはなりましたね。

そして気になったことがもうひとつ。
旦那さんが会社に事情説明をしているときに「寝てたんだと思います」と言ったこと。

記憶にはないんだけど、たぶん寝てたんだと思うって発言するということは、居眠り運転の可能性もゼロではない。

わたしの中で、ふつふつとイヤ~な黒い感情がわいてきました。
 
 

夫婦の認識の違い、ぶちギレ寸前のわたし

うちの旦那さんは、リビングで寝るクセがあります。
スマホ動画を見ながら、ついうとうとしてしまって、そのまま朝が来るという感じ。

電気もつけっぱなしなので熟睡できないと思うし、だらしないなぁと思って最初のころは口うるさく寝室で寝てって言ってました。
けれど、そのクセは治らなかったので、そのうちに放置するようになったんです。

もともとよく寝る人で、休みの日はずーっと寝て過ごす日もあるので、そんな眠気の原因は普段の睡眠の質が悪いからだと思っていました。

それがあって、事故が起きたときにわたしは、普段の睡眠の質の悪さ=居眠り=事故、とつなげて解釈しました。
 
 
ですが、ここでもお互いの認識は違っていたんです。

旦那さんの中では、事故と睡眠の関係性はなし。

たまたま事故をして、運よく大事にはならずに済んだ。

なのでその後も、リビングでうとうとする習慣は変わっていません。

そんな旦那さんに対してわたしは、「反省していない」「その神経が理解できない」「なぜ改善しようとしないのか」「結果的に人様に迷惑をかけたんだぞ」などと、いろいろな感情がわいてきました。

なんていうか、これまで表に出ていなかった感情が、一気に押し寄せるような感覚がありました。

「絶対、離婚する」「いますぐ離婚したい」喉元まで出かかった言葉たち

とにかくイヤになって、すべてをリセットしたい衝動にかられて、ぶちギレる寸前でした。
 
 

だけど、旦那さんにぶちギレることはなかった

ギャーギャーまくしたてて感情をぶつけると、一旦はスッキリするかもしれませんが、お互い気持ちよくはないし「罪悪感」が伴うのが分かっているので、それはしませんでした。

ぶちギレ寸前までの感情になった、ここまで感情が出せていることは、わたしにとってチャンスでした。

なにがチャンスだったかというと、「自分の感情がどこから来ているものなのかを知ることができる」からです。
 
 
わたしの「怒り」の感情は、旦那さんの何に対して怒りを感じているのか? 
そこのところを整理してみると、自分の認識がみえてくるということです。

①旦那さんのどんな言動に対して
②わたしのどんな考え、感情、行動がでているのか

そもそも、わたしの事故に対する認識は「普段の睡眠の質の悪さ=居眠り=事故」でした。

旦那さんの①反省の見えない軽率な行動に対して、②ちゃんと考えて改善する努力をしろよ←怒りという、考え感情が出てきました。
 

ですが、ここで重要なことがひとつ

それは、なにが「事実」なのかを見極めることです。

 
今回のことでいうと「バイクで事故を起こした」ことは事実ですが、事故の記憶がないことについて、寝てたかもと本人が言っているのは本人の「思い込み」です。

それを受けたわたしが、普段のだらしない生活(これも思い込み)が元で、きっと居眠り運転したのだろうと思っているのも「思い込み」

つまり、事故に直接関係があるかどうかわからないことを、原因のように思い込んでいたことになります。

と、淡々と書いてますが、「そうは言っても、普段の生活が原因の可能性はあるよね」と思っている自分も未だ、います汗

人は育った環境や、過去の経験を元に思考して判断するので、わたしはそのように思ってしまうワケです。

同時に、旦那さんの思考が自分と違うのは当たり前なんですよね。
 
 

普段から違うことだらけな夫婦の日常

付き合っていたころは、似た者同士だという感覚があったわたしたちですが、一緒に生活するようになってからは「違い」が目立つようになりました。
 
 
身だしなみを整えるのは大切だと思うわたしと、全く無頓着な旦那さん

よく考えて行動しようとするわたしと、なるようになる派の旦那さん

白黒ハッキリさせたいわたしと、どっちでもいい旦那さん

アタマがカタいわたしと、わたしよりはユルい旦那さん
 
 
旦那さんと生活することは、ガチガチにカタいわたしがゆるむきっかけになるかもしれない、そう思っていました。

その反面、旦那さんとわたしの「違いを認めようとすること」自体が、ストレスになっていたことに気づいたんです。

家族でなければ関わることをやめてしまえるけど、「離婚しない限り無理だ」というのもストレスなんだと思いました。
 
  
少し前までは、ここまでのモヤモヤやイライラの感情はなかったのですが(あってもすぐにおさまっていた)、事故の件ではガーッとマックスに達して、ゴーゴーと燃える火が中々おさまらなかったんですよね。

普段から感情を出さず、いい子ぶっているわたしにとって、自分の感情と向き合うタイミングだったのでしょう。
 
 
その感情が出てきた背景を少し意識してみると、冷静になれるとともに新たな気づきもありました。
 
 

旦那さんに多くを要求(期待)していた

「期待は裏切られるもの」だから、期待せずに信じよう

と、周りに言っていたわたしですが、実は旦那さんにたくさん期待していたことに気づきました、、、汗

「ダラダラをやめてちゃんとしてほしい」
「身だしなみに気を遣ってほしい」
「よく考えて行動してほしい」
「はっきり意思表示をしてほしい」

このような期待をして、わたしの基準で思い通りにコントロールしようとしていたのです。
 
いやー、こわい苦笑

自分が期待していることに気づかない(認めない)まま、その期待を裏切られるたびに絶望を繰り返していました。
 
それが積もりに積もって、事故を引き金に、怒りや苛立ちの形で表れてきたのですね。
 
 
そしてこの期待は、「旦那さんは〇〇な人だ」と決めつけていることになります。

「旦那さんはダラダラする人だ」
「旦那さんは身だしなみに気を遣わない人だ」
「旦那さんはあまり考えずに行動する人だ」
「旦那さんは意思表示をしない人だ」

勝手にこれらのレッテルを貼っているのですから、失礼にも程があります。
 
 
しかし、相手に対して、このようなレッテルを貼ってしまっていたと気づければ、そのレッテルは剥がすことができます。

逆に、気づかない限り、剥がすことはできません。
 
 
ということはつまり、「気づく」というのは「やめる、手放す」という選択肢を生むことができるということです。
 
 

自意識に気づくことを意識して身軽になろう

人に期待をしている場合、その期待が大きいほど相手のことを責めてしまったり、そんな自分を責めてしまうことになります。

相手を傷つけるし、ストレスがたまるし、なんにもいいことないですよね。
 
 
日頃から自意識に気づこうと意識をしていれば、何か問題が起きたときに、一時的には感情的になったとしても冷静に向き合うことができます。
そして、ひとつずつ自意識が明らかになることで、それらを手放すことができるようになるのです。

そうなると、どんどん身軽になっていくのが想像できますよね。

ドラゴンボールで悟空が強くなるために、めちゃくちゃ重いおもりを身に着けてトレーニングをしていましたが、すべてを外したときには自分でも想像がつかないくらい俊敏に動けるようになっていました(書きながら思い出して、超懐かしいです!)。

わたしたちは、生きてきた中で自然と重りをつけてしまっているのです。
そろそろ外して、身軽に自由になりましょう。

そのときには、想像もつかないような自分自身が存在しています^^
 
 
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
 
 

思い通りの現実を創造(想像)するために最優先でやること

笑子(えみこ)です。
 

2019年は【3:創造と破壊】の年

『創造』とは「生み出す」「創り出す」という意味ですが、このとき「心の中に想い描く」ほうの『想像』も合わせて意識します。
 
 
なぜなら

『想像』したことが『創造』されるから

心の中に想い描いていることが、現実として生み出されるということです。

分かりやすくするために、思い通りの現実を生み出すことを、理想の家を建てることに例えてみますね。
 
 


 
 

思い通りの現実を生み出す=理想の家を建てる

親から受け継いだ家に暮らしているとしましょう。
築年数も経っているし、そろそろリフォームして自分の理想の家にしたいなぁと考えます。

理想の家にするために想像してみましょうか。
間取りを考えたり、屋根の形や壁の色など、デザインにこだわるかもしれませんね。

このように想像して、理想の家を創ろうとします。

そして、いざ工事に取り掛かるときには、当たり前ですけど古い家を壊すことから始まりますね。
 
 
理想の家(思い通りの現実)を創るには、想像するとともに破壊することが求められます。
 
 
何もない更地に家を建てるのであれば、すぐに作業に取り掛かれますが、建て替えようと思ったときにはまず壊すことが必要ですものね。

そして壊す前には、家の中の不要なものを手放して必要なモノだけにしておけば、いざ新しい家に暮らそうと思ったときに、最小限のお気に入りのモノに囲まれた理想の暮らしが手に入ります。
 
  

創造(想像)する前に破壊するということ

ここで言う破壊とは、「手放す」「やめる」ことを意味します。

自分の中にある「固定観念」や「思い込み」などを手放す

古い家にある不要なモノを、壊したり手放したりするのと同じように、不要な「固定観念」や「思い込み」を手放すということです。
と、言うのは簡単ですが、これが中々手強いんですよね。

なぜ手強いかというと、わたしたちは自分の「固定観念」や「思い込み」に気づいていない場合があるからです。
 
家が古くなっていることは分かっていても、見えにくい部分にガタがきていたり、長年暮らして使っていると愛着があって捨てられないモノもあるでしょう。

しかし、それらは本当に必要なモノなのでしょうか。
 
本当に必要なのか、必要だと思い込んでいるだけなのか。

自分の理想の家に、その「固定観念」「思い込み」は必要なのか?
 
 
例えば、人間関係において、他人との考えに違いを感じた時に「自分の考えが正しい」と思ったとします。

それは事実でしょうか。本当にそうでしょうか。

「正しい」と思うのは、何を根拠にそう思うのでしょうか。

それは、自分の家が誰よりも素晴らしいと思い込んでいることと同じじゃないかなと思うんです。

「自己満足でもいいじゃ~ん」と思うかもしれませんが、周りと比較して優劣をつけたり、自分の正しさ基準を持ってしまうと「固定観念」に縛られてしまいます。

比べることをせずに、みんなそれぞれに素晴らしいということを認めると、自分も周りもラクになりますよね。
まずは、自分の中にある不要な「固定観念」や「思い込み」に気づいて、それを手放しましょう。
 
 

最悪の結果を想像したとき、創造されたもの

想像したことが創造される例で、身近なことでわかりやすい出来事がありました。
 
 
数年前、健康診断を受けたときのことです。

郵送された結果をみると、精密検査が必要な項目がありました。
11月に受けて連絡がきたのが12月でしたから、すぐに病院の予約がとれず、年を越して1月に再検査を受けることになったんです。

その年の年末年始は、それはもう憂鬱でしたね~。

「もしも、再検査して最悪の結果だったらどうしよう」
そんなこと考えないようにしようと思うのですが、つい頭をよぎるんですよね。

いつもなら楽しいはずの年末年始が、自分の周りだけどんよりとした空気に包まれたようで、「憂鬱すぎるー早く年明けてほしい、いや、早すぎるのも嫌だなぁ」などと、なぜか悪いほうへ悪いほうへ考えていました。
そんなときは体調もイマイチで、だるいし、気持ち悪いような気もするし、何もやる気がしないし、とにかく元気がなかったんです。
 
 
結局のところ、再検査では異常なし

その結果を受けたあとは、自分のあの暗さは何だったのかというくらい体調も普通になったのですが、そのとき思ったんですよね。

「病気だったらどうしよう」
そう気に病んでいたら、本当に病気になりそうなくらいヤバかったなと。

「わたしは元気だ!」と陽気に過ごしながらも、不摂生な毎日を送っていたら、それはそれでヤバいと思うのですが(汗)
自ら気持ちまで病むということは、する必要のないことだと思いました。

つまり、わたしは起きていないことに対して想像をふくらませていたんですね。
良い想像ならいいですけど、悪い想像をしまくっていた(汗)

その結果、体調や気持ちの悪さを生み出していたということです。
 
 

創造(想像)するときの自意識

もっとわかりにくい状況で生み出されているものはたくさんあります。
というか、現実に起こることのすべてを自分が生み出しているワケですが、中々そうは思えないですよね。

創造(想像)するときの自意識というのは、自覚しているようで、実は自覚できていない無自覚の部分が多く存在するんです。

例えば、何かやりたいのだけれど「やりたいことが分からない」とか、なぜだか「このままではダメな気がする」とか、自分の本心が見えなくなっている状態にあるときなど、これは周りの影響を受けて起こることなのですが、影響を受けている状態だとアタマで考えてしまうので、やりたいことがわからない感覚になってしまうのです。

無自覚の自意識(思い込みなど)に気づいていけば、いらない思考に気づいてそれを手放すこともできるし、自分の本心にも気づくことができるということですね。
  
   
ここでの「自意識」とは、自我(エゴ)や主観とも言える自分の考え感情の部分を言います。
先述した「固定観念」や「思い込み」もこれに含まれます。

「病気だったらどうしよう」のように、「こうなったらどうしよう」などと思い込みとして表れてくることもありますし、「理解されたい」「愛されたい」のように、「~されたい」という期待や要求のような表れ方もあります。
 
つまり、自分の中に「~だったらどうしよう」という思い込みや、「~されたい」という期待や要求の部分を見つけて、自分はこんな自意識をもっているのだと気づくことが大切なのです。
 
 

まとめ

想像したことが創造されるといっても「理想の状態が想像できない」という方もいらっしゃると思います。

「そんな簡単に思い通りになる訳がない」と思う方もいらっしゃるでしょう。
わたしもそのひとりでしたから、お気持ちわかります。

ですが、そう思い込んでいる限り「簡単に思い通りにならない」という現実が、思った通りに生み出されているのは紛れもない事実です。
 
何より、自分の「固定観念」「思い込み」「自意識」に気づいてください。

一緒に少しづつ身軽になって、理想の家を建てましょう^^
 
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
 

2月の過ごし方【素直なこども心を解放する】*はづき数秘術*

笑子(えみこ)です。

数秘術の活用の仕方のひとつに、毎月の「月サイクル」を知るというのがあります。
 
月初めの今日は、2019年2月の過ごし方をお伝えします。

2019年は【3:創造と破壊】の年

こども心に従うことを意識する年です。
 
 
その中で今月【5:変化】の月では、素直なこども心で行動すること

5歳児にもどったようなつもりで「変化」を意識しながら、積極的に行動してみましょう。
 
 


 
 

あなたのなかのワクワクセンサー

ちょうどいいことに、わが家には5歳児がいます。

良いお手本が目の前に(笑)
 
 
毎朝、家を出るまでの支度に時間がかかるのですが、本人いわく「ママと一緒にいたいから」
だから早く支度したくない、保育園で友達と遊ぶよりママと一緒にいたいと、可愛い本音を素直に伝えてくれます^^
 
 
が、今日は保育園で節分の豆まきをする日

すると、いつもより早起きして、いつもより早く身支度して、とてもスムーズに出かけて、お別れもあっさりと

いや、正直!笑笑
 
 
ワクワクすることがあると素直にそちらを優先して、気持ちの切り替えも早い

こどもは、とらわれのない自由な部分が多いですよね。

あなたのワクワクセンサーは何に反応しますか?
 
 

素直なこども心を解放しましょう

大人になると、世間の常識や社会のルールや、いつのまにか身につけてしまった固定観念、セルフイメージに縛られてしまって、無意識のうちに「わたしは◯◯な人間だ」と決めつけていたりします。

だから、わたしには無理とか、守りに入って行動できないとか、言い訳しがちになってしまうこともありますよね。

しかし、今以上のすばらしい人生を送りたいのであれば、

「できるかどうか」ではなく「やりたいかどうか」

「イヤイヤやっているのか」それとも「ワクワクするのか」

仕事や家事、人間関係など、人生すべてにおいて、イヤイヤ、仕方なくやっている限り、下降の波にのまれてしまうことは避けられません。

ますます二極化が激しくなる時代に、あなたの中にある素直なこども心を解放しましょう。
 
 

しなくてもいいことを、やりたいからやる

今までは「したくないことをする」のが仕事、「しなくてもいいことをする」のが趣味だと言われてきました。

もう、そんな時代は終わりです。

「自分のしたいこと」「好きなこと」「ワクワクすること」をしないままで、あなたの人生が充実するワケがありません。

自分がこどもの頃は、ワクワクを見つけては、毎日を楽しく生きていたはずです。
 
 
こどもの頃、何が好きでしたか?
何にワクワクしましたか?

なぜ、それが好きだったのでしょう?

今ここで、もう一度、こどもの頃の純粋な好奇心やワクワク心を思い出して、無邪気なこども心を思い出すタイミングがきているのです。

そこに、自分が本心からやりたいことのヒントが隠れているかもしれません。

あなたがあなたらしくあるために
「あるがまま」の自分に戻っていくために

そのためのチャレンジをしていくことこそが、今求められています。

笑っているときが、本当の力が出ているときです。

めいっぱいの笑顔で、人生の波をのりこなしましょう!
 
 
最後までお読みいただき、ありがとうございます。